1985年

1984年12月に鈴鹿に移住

12月の20日ごろに引っ越しをしていたと思う。
古いアパートで、確か31日だったと思う。
いきなり家が揺れだして、壁がくねくね歪んでくる・・・・
何だと思い、びっくりして飛び出した。
でも、周りの家からは誰も出てこない・・・・
この家は呪われていると・・・・
やばいとこに来たと思い、壁に背中を押しつけて小さくなっていたら
テレビでピロピロとテロップが出て、地震だと(^^)
あれが地震なんだと初めての経験をしました(^^)

鈴鹿のサンデーは11月開幕で、11月、12月、1月、2月、4月、6月と
シリーズがあった。

私は、今まで乗っていたマシンを売って、新車を予約していた。
すぐに来るもんだと思っていたが、なんだかトラブルがあったみたいで
納車が遅れて、2月のサンデーの後に納車になった。
なのでこの年は4戦出ていない。
しかも、いきなりナラシで焼きつき・・・・
HRCに言ったが、取り付けてもらえず・・・・
また新品のピストン、シンダーを買った。
そのあと、ほかのライダーが焼きつきだし、ほかのライダーは交換してくれたのに
私は・・・・・・駄目でした(^^)

このときに、私はシリンダーから上しか組んだことがなく、鈴鹿に来たら、ライダーが
全部、組み合えるのが当たり前だと教えられ、専用の工具を買って、そう当時あったHRC鈴鹿
のスタッフに教えてもらい、クランクまでばらして組みつけることができた。

それができるまでは、1度も交換したことがなかった。(^^)

ピストンも、これが当たりだから削って、と教えてもらったけど、わからず(^^)
その当時の私の整備は、ピストンの頭についているカーボンを落とすだけで、ピストン、ピストンリング
などは、レース前しか交換していなかった(^^)

鈴鹿に出てきて、今もいろいろと指導してくれる○○さんに知り合った。
レースについて、「予選はグリットのポジションを決めるためのもので予選落ちは、レースしてない」と
大阪にいた時は予選通過で、夜は宴会だった。
改めて、すごいところに来てしまったと、このとき思った。
それに、レースは2位以下はすべて負けとも言われた。(え〜〜〜〜〜って感じ^^)

そこから、今でも覚えているのは、仕事で、ポールポジションか優勝したら、何か御馳走してやると言ってくれて
よ〜しがんばるぞと思った。

4月のレース
予選16位
決勝10位


6月のレース
予選は雨
ダンロップにタイヤを買いに行ったら、レインタイヤというものが・・・(今では信じられないけど、走り始めはTT100GPというタイヤで晴れも雨も走っていた。)
え〜〜〜〜〜
使ったことがないし、いきなり予選・・・・しかも10分しかない。当然、今あるタイヤウオーマーなるものはない
それに仕事で予選落ちたら、月曜日会社に来なくていいからともいわれているし・・・・・
どうしよう・・・・・

開きなって、出て行って1周目から思いっきり走って行った。
S字コーナーでリアタイヤがウネウネと4回ほど滑り、ダンロップコーナーでも滑り、
こけたら言い訳をして、こけてしまいましたと言って会社に行けばいいやと(^^)
そして1周走り終えて2週目のs字コーナー。
またリアタイヤがウネウネと来た。しかし1回で止まってくれた。
グリップしてる。
そこから、いけると思ってガンガン開けて行った。
結果、2位と大差をつけてポールポジションをとった。(予選では300台ほどのエントリーがあった)
このとき(何か御馳走してくれると期待した^^)

決勝は晴れ。
スタートは、あまり得意ではなく、1コーナーではずいぶん後ろからの追い上げとなったが、10周のレースで、確か5周目ほどでトップに立ち、
そのまま2位をストレート1本分くらいひきはなして、ゴール。優勝(^^)

その日の全日本の125のレースで、トップの選手のタイムを計っていたが、私のほうが1秒速く、小言で勝った勝ったと言っていたら
いつの間にか隣にメーカーの人がいて、誰を計っているんだといわれたので、トップのあの選手と言った。で私のタイムを聞かれてので、何秒ですと。
なに〜〜〜と、そのメーカーのひといわく、そのトップを走っているライダーのエンジンを手掛けていたみたいで、私のバイクよりも3PSもアップしているとか。(驚)
で、そのまま、タイムを計っていたら、最終ラップに私のタイムが抜かれてしまった・・・・・(私は10周のレース全日本は12周のレース)
10周のレースなら勝っていた。



その後、もう1戦出たが、あまりいい成績ではなかったと思う。
しかし、その後、SMSCより、チャンピオンの表彰があるので来てくださいと・・・・?
2戦しか出てないのに?・・・・

私と同じように、マシンを乗りかえで車両が納車できてないのと、最初の4戦は、エントリーの参加台数を制限したため、このレースはポイントなしとなって
残りの2戦でのポイントで、私が、チャンピオンということになったみたい。


この年、筑波レースにも出ていて、

初戦は、予選でマフラーが壊れてしまって、予選落ち(しまし予選落ち2番目)

マフラーがしっかりしていれば予選は通ると思い、会社に休みをお願いして

第4戦(2戦目)をエントリー

予選ポールポジション

決勝は優勝

このときの私の筑波は、鈴鹿での練習での成果を筑波ではどのレベルかを確かめるためのレースだったため、この年は、これで出場は止めた
(その後、勝ちにげやとあるライダーに鈴鹿で言われてことがある^^)