1983〜1984年

私がレースをやり始めた年

私がレースをやり始めたのは1993年の10月ごろだったと思う。

高校を卒業し、整備士になるべく、自動車販売会社に就職。

しかし、1年ほどたったときに、2輪関係で働きたいと思い

アフターのマフラーを作っていた会社に就職。

 

ここでは、モトクロス、ロードのチームが会社にあって、私はロードのほうですることになる。

 

会社所有の400があったので(GS400)それを、最初は借りて走行した。

その当時の400は80Kになると速度警告灯がつくのだが、ヘアピン

立ち上がりでついたときはびっくりした思い出がある。

 

その当時、私は小柄であったため、社長が125を勧めてくれた。

その時の私は125といえばTZ125と思い込んでいたが、その時に紹介されたのがホンダのMT125の水冷キットを組んであった。
その車両を売りたい人を紹介してもらい。奈良まで取りにいった。

 

行くと、ガレージがあって、スペアパーツをすべて持っていいっていいと、言ってくれたので、その後はすごく助かった。

 

その頃、会社ではTZ250に乗っている人がいて、よく一緒に鈴鹿サーキットに通いました。その頃の鈴鹿サーキットはまだ、今くらいの人数で、午前午後とあれば、走行はできました。走行後にいつも何分走ったかを計算する(分単位で支払う金額が変わるため)

左が私。



鈴鹿を走れなかったときは、中山サーキットに行きました。

中山サーキットは30分走行で、1日の間に8回走れました。

1番の走行と、最後の走行は台数が少なく走りやすいのですが、2回目から7回目までは、台数が多く(たぶん60台位走っていたと思う)ベストなラインなんて1周取れるわけもなく(^^)でも抜く練習や、その判断、ライン(中山は転倒するとグリーンの部分に大きな石が転がっていたり、グリーが少なくフェンスに当たってマシンが廃車になるので)でいい勉強になりました。



私はデビューレースは
鈴鹿のサンデーで、結果は・・・・・・予選落ち(泣)しかも2台しかいなく、かつベストの5秒落ち
理由は、前日の練習で転倒してしまい、大阪に戻ってカウル等の修理をし、終わったのが2時、4時に大阪を出て、鈴鹿入り。
予選落ちが2台しかいないから、眠いので、これくらいで走っていても予選は通るだろうと気を抜いて走っていた。で予選落ち。

今思うと、当然と思う。

そこから、常に、予選では、いつも以上に気を引き締めて、集中し走るようになった。

1984年は、予選は通るが、決勝はポイント取れるところまで行けず。

決勝で転倒したりとか・・・・・

思い出があるのは、その日の最後に組み込まれていて、130Rで転倒して、レース後マシンを押しながらピットの方向に押していくと、観客の人たちがこっちを見ていて、すごく恥ずかしかったことが覚えている(^^)

1984年12月に鈴鹿に移住