1986年 全日本選手権

国際A級に上がれたので、全日本にチャレンジする。

 

シーズン途中に、中山サーキット練習中、転倒 背骨の圧迫骨折のため3ケ月入院。

この時、中山サーキットには私1人で行っていて、ちょっと息苦しいかなと思いながら、

バイクを車に積み込み、自分で運転して帰ってきた。

月曜日、まだ痛いので会社に言って病院に行ってきた。

診察していたら、先生が、看護婦に「病室空いているかと」聞いている。

私 「先生、入院ですか?」と聞くと。

当たり前や、背骨を骨折している、トイレ以外絶対安静やと叱られる。

何にも用意してなく、即入院。

先生と看護婦のすきを見て、車を運転して、着換え等を取ってきて、ベットで寝てた(マネしないでください^^)

そして、そのあとの先生の回診で「先生、今週鈴鹿でレースがあるんです。何とか出れないですか?」と聞くと先生は「今の状態で、転倒したら、腰から下、もしくは首から下麻痺して人生終わるよ」と・・・・・

私・えええええ・・・・

その時自分の、骨折の重大さを思い知った。

1ケ月半、入院して、そこから1ケ月半通院。合計3ケ月。

まったくバイクに乗らず。

そして、3ケ月ぶりのフルコースのスポーツ走行。

しかし、1コーナーが突っ込めない・・・・・

私、怪我する前は50mの看板は過ぎてからブレーキしていた。

しかし、3ケ月ぶりの走行では100mも突っ込めない・・・・

たまたま、調子が悪かったんだと・・・・

2回目の走行。

 も、100m手前でブレーキしてしまう・・・・

自分で言いきかせ、3回目のスポーツ走行で前にできていた50mの看板まで突っ込めなかったら、レースをやめようと。

そして、運命の1コーナー。

ストレートから1コーナーに入るときにブレーキレバーに指が・・・

そして、ブレーキをかけようとする体と、かけるなと頭の中が葛藤。

で、50mまでしょんべんちびるかと思いながら、我慢した。

1回行けたら、そこから何事もなかったかごとく、普通に50mまで行けた。

それどころか、さらに奥まで行けることになり。最終的にタイムも上がってきた。

 

レースは結局、最終戦鈴鹿がなんとか出ることができて、確か10位前後の順位だったような。(^^)

 

ランキング21